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◆◆エッセイ 5◆◆    

◆2006.8.28 初秋の候 皆々さまへ
 人間とは我がままなもので つい2・3日前までの猛暑に暑い 暑いと言っていたものの 涼風が立ちますと 過ごし易いと全く 身勝手そのものの私です
 季節の変わり目は 人間にそーっと自然に訪れてくれる優しさを持って居るのでしょうか 季節と言うページの一枚を感じる度に 私は深呼吸をして季節を実感しています 晩秋から冬へのページ そして初春の希望を感じさせるページ 初夏のページ 四季を実感出来る日本は 本当に有りがたい国だと感謝の思いです
 
 お陰様でホーム・ページを開いて以来 多くの方がたが お立ち寄りを下さり今までの人生に無かった人間界の 人と人の温かい交流を頂き嬉しい嬉しい思いです     かなり昔の話ですが フト思い出しましたので 引用させていただきますと ヒンズー教の教義に 学習期(幼児より社会人まで) 宅住期(社会に出て家庭を持ち活躍の時期) 林住期(林の中に住み自己を省みる) 遊行 (たぶん死までの間) 正確ではないとは思いますが 人間の一生を四つに区分けをしての教義の一部だったと思います  季節の四季が 何十年も前に目にした人生を四分割した教義を思い出させたのだと思います 盛者必滅 会者定離 生老病死 数えたらきりの無い程の格言があり だれもが人間界の方程式の中でそれぞれの生き方をしています
 
 それぞれの思いの中で共通した話題で お目に掛かった事の無い方がたと親しく文字で対話出きる事は 本当に素晴らしい現実です ホームページを開き半年以上が過ぎましたが 心から皆々様に御礼を申し上げます これからはより具体的な内容でテーマに迫って行きたいと存じます ヒンズー教で言う 宅住期 (社会に出て活躍期)と思い 音楽祭 レコ大 ベストテン そして放送業界と 真実を記して参ります
 
 『皆様に御報告できる喜びです』
このホームページで私は数名の方々より善意の御厚意を頂きました 信じられない事とお思いでしょうが 私のBBSの文中より推察して下さったのだと思いますが 未だお目にも掛からぬ方がたより 貴重な資料の数々を御提供頂き ただただ心から厚く厚く御礼を申し上げます きっと何十年も掛けて集められたのでしょう大切な大切な資料の数々とDVDの数々 有り難く 有り難く御礼を申し上げます
 
 お陰様で 私の記憶の小箱はキリッとして より細部までを思い出すことが出来そうです 率直で素早い善意の御厚意を頂き私の心は 喜びで一杯です 
 本当に 本当に有難う御座いました この善意の数々を皆様にご報告申し上げ 喜びと感謝を忘れずに記して行きたいと思います  有難うございます
                         

◆2006.8.18 第6回東京音楽祭世界大会 現場より
 第6回東京音楽祭世界大会を 迎えました
 今回も世界中から多彩なエントリーに応募の中から勝ち進んだ 幸運な歌手達が東京に集りました ゲスト出演者も年々レベルが高く 今年はポール・アンカの登場です ひと昔前には想像も出来なかった顔ぶれが世界から日本に集ります
 
 東京プリンスホテルでの面接も順調な平和外交で円満円満に終りました
 
 TBS Gスタジオでの音合わせを迎えました
 外来の歌手さんに毎回言えることですが 始めはかなりの緊張した態度ですが 一人二人と進みますと日本側への信頼感を持ったのでしょう 肩の力も取れて明るい
表情が見えてくるのがよく分かります
 
 毎年ですが音声さん(ミキサー)はレコードの知識だけでのミキシングを始めますが コンサートに持ってくるスコアはレコードとはかなり違って居る事の聞き分けから始まります 音合わせ3回 カメリハ2・3回ランスルーそして本番で結果を出すわけです
 ですからこの音合わせでのチェクは重大な問題です 音声さん全員が真剣に音を聴き台本に書き込みを行います 全員始めて聴く重要な 重要な音合わせです
 
 大変失礼な事ですが ミキサーさんでスコアを読んで居る姿を私は知りません
TV業界のこの有り方に 私は大きな疑問を以前から持って居たのですが やはり
ミキサーさんにはスコアの読める音楽家を付ける様に 強く上層部に進言するべき
だったと 今でも反省しています 音合わせ 一つにしても基本的なこのような問題をかかえて居たのです にも関わらずあの音を採録できたのですから本当に耳の良い人々の集団だったと言う事で 幸運の連続と言えるのでしょう
 
 さて音合わせも順調におわりました 日本勢は他の番組で私とよく顔を合わせる気心の知れた方がた どうか良い成績をと祈る私でしたが表面は公平な態度で接しました
 
 いよいよ当日です
 オケ軍団のサウンドチェックから エントリー順にカメリハが始まろうとした時です
上手の階段付近で大声が聞こえました  しばらく進行が止まりました
 我がオケ軍団も何の為の中断なのか分らずに 暫くまちました
 
 ご説明いたします 清水 丈氏と言う名プロデューサー愛称タケさんがいます 歌手は カメリハには本番時に着用の衣装を着るか 肩にかけて この衣装ですとカメラに
見せるのが常識なのですが 上手階段付近に集った日本人以外の歌手さんは上着も持たずに和気藹々と大声で雑談に興じて居たのです そこへステージ・デレクターも兼ねた清水 丈氏が現れ大声で『カメリハだから衣装を持つて来るんだ 大急ぎだぞ』と 日本語で怒鳴ったのですが 衣装を持たない歌手さん達は飛ぶように引き返し5分後には全員衣装をもち集ったと言うのが経緯だと知りました
 清水タケさんの迫力勝ちです タケさんの大声 怒りに満ちた顔 ゼスチュアで 意思は十分に通じ合ったのです
 
 日本語が世界共通語となった素晴らしい瞬間だと 私はさすがタケさんと嬉しくなりました もうお話してもいいでしょう この清水 丈氏はイベント会社ジョー・清水エンタープライズの社長で この世界大会のプロデューサー渡辺正文の弟分で渡辺氏から目を掛けられて居ました  実に細かいところ迄気が付く方で国内大会でのフロアーで着席の歌手を立たせるサインを出す氏をVTRでみて やはり永年培ったカンはいぶし銀のように輝いて居るものと感心したものです 因みに清水さんは昭和初期の喜劇王シミキンこと 清水金一氏のお子様で日本の芸能界では多くの方に慕われ音楽祭の時期になると事務局から現場へと活躍の場を広げているタケさんでした
 現場の名人 清水 丈さんの日本語は世界共通語との伝説が生れた第6回でした
 
 第6回も大盛会でした
 
大賞 『ふたりの誓い』 マリリン・マック&ビリー・ディビスjr. (アメリカ)
金賞 『抱いて抱いて』 ディデット・ライエス           (フィリピン)
銀賞 『愛のバラード』  モリス・アルバート           (ブラジル)
銀賞 『勝手にしやがれ』 沢田 研二
銅賞 『マリア・マイ・ラヴ』 ジョン・ガルビー           (フランス)
銅賞 『夢先案内人』    山口 百恵
銅賞 『愛のひととき』  バルビ・ベントン            (アメリカ)
 
 ゲストのポール・アンカは 実に堂々と安定した歌唱を披露し満席の武道館の
人々を酔わせてくれました 
 挑戦的と言えるほどの眼光の鋭さ 休憩時間にステージをくまなく歩き確認をする姿は大エンターティナーとして ステージ上の計算をしていたのでしょう
 本番での氏は満面の笑みで ショーの中盤では歌いながらなんと客席に下りて観客との交流 少女との微笑ましいひとこまもあり 自信から生れる重厚な歌唱で観客を満喫させ最後のマイ・ウエイでは観客のだれもが 十分に聞いた満足感で一杯の様でした
 
 あの細かい確認だからこそ あの大きなステージングを披露が出来たのでしょう
 ゲストに共通していえるのは 1回のステージに全身全霊で自己表現を行うことです アメリカのショービジネスの厳しさをひしひしと感じました
 
 今回の大賞 金賞 銀賞 銅賞は熱唱に継ぐ熱唱で 大賞のマリリン・マック&ビリー・デイビスJRは誰もが納得の貫禄勝ちと言えるでしょう 百恵さんの振袖姿がひときわ印象深く 沢田さんの熱唱が人々の心を捕らえました
 
 この回 前々から話題になって居た女性ロックバンドのはしり ランナウエイズ(下着ルックで人気沸騰していた)はエントリーして来ましたが 喧嘩で5人メンバーの内4人で出場しましたが 帰国後すぐ解散したとの事でした
 
 日本から出場の大橋純子 山口百恵 清水健太郎 沢田研二の各氏も健闘しましたが 特に沢田氏の熱唱素晴らしく 銀賞ではご本人も納得しかねる思いの様に私には思えました 音合わせの時も明るく自信溢れる澤田さんでしたが 本番でも実に堂々とした歌唱で武道館を湧かせました
 
 この年は日本の大衆音楽史上記念すべき年となりました それは沢田研二氏が年末の日本レコード大賞で大賞をとり レコ大視聴率開始以来最高のの50.8パーセント(ビデオリサーチ)を記録しました この記録は更新される事なく つい先日レコ大は大晦日から撤退して30日放送になるとのニュースが流されたばかりです
 
 視聴率調査開始の昭和37年レコ大第4回の10.8パーセントから始まり徐々に徐々に数字を上げ 国民的行事とまで言われ この昭和52年50.8パーセントの大山を付けました そしてレコ大30回では21.7パーセントとピークから29.1パーセントも下がりました 以後徐々に下がり昨年平成17年は10パーセントを付けたのを機会に平成18年から大晦日撤退を決めたのでしょう 私は数字で云々するのを好みませんが このように明確な数字を目にすると 言葉が有りません
 
 昭和52年は沢田研二氏が音楽祭では銀賞でしたが 大晦日のレコード大賞では
見事に大賞を手にして 氏にも音楽界にも記念すべき年と成ったのです
 
 東京音楽祭も6回の経験を重ね世界からの参加希望者も増加し名実共に世界から
認知されたと言えるでしょう TBSの各セクションの結束は一層固く結ばれた様に私には映り まだまだ上り坂の途上に有るとの実感を深めました

◆2006.7.23 第5回東京音楽祭世界大会 現場より
 東京音楽祭は第5回を迎えました 時の流れは本当に速いものです
 この第5回の時は すでに世界的に認知された音楽祭に成長していました
 世界中から多くのエントリーがあり 選ばれた方々が東京に集まりました
 
 東京プリンスホテルで恒例の面接から第一歩が始まりました
 この面接は歌手の皆さんの希望 要望をこと細かに聞き入れて実現させ安堵感を持 ってもらうと共に 歌手さん側の楽譜その他の手落ちが無いかの確認が目的です
 そして個人的な問題もあり プライバシーは厳守で行われていました
 
 今回はアメリカ イギリス フランス イタリアからの出場で 通訳さんもそれぞれ専門の方々で固められました ほとんどの歌手が初めての来日です この面接で日本の そして音楽祭の第一印象が決まります 私達は出来うる限りの誠意で遠来の客を迎えました
 
 いよいよ音合わせ当日を迎えました 我がオケ軍団の音を聴き 歌手の皆さんは大きな信頼を持ったのでしょう 実に順調に音合わせは進み 和やかな雰囲気で終了しました
 
 音合わせ済みのスコアを整理している私に Yプロデューサー氏が話かけて来ました
「タニア・タッカーの譜面がさびしいと思いませんか 何とかドーンと終らせたいと思うので 書いて下さい」との事です
 
 もう時効の話ですから 宜しいでしょう 実は私もタニアの音合わせの時 この音楽祭には いささかさびしい編曲と小編成なのが気になっていたのは事実です
私はY氏の要望を受けてタニアのスコアを書く事を約束いたしました
 本人の知らないところで 新しいスコアが進行しました 音合わせの記憶で本人は本番に向かう筈です どのような反応を見せるでしょうか
 
 さて本番当日 朝7時からサウンドチェツクから始まり 本人でのカメラリハーサルに入りました 午後がタニアのカメリハです 気の強いアメリカ娘丸出しの様に見えるタニア 一回目のカメリハが始まりました 2コーラス目から徐々にオケが厚くなり 3コーラスのコーダではスコアは真っ黒で Y氏の言う「ドーンと」終らせました
 タニアは始めてのアレンジにも関わらず実に堂々と しかもコーダの最終音の中で
Fill in(曲の雰囲気で即興的に歌唱をする)をして居るのです いかにも気の強いアメリカ娘です この様子では本番でタニアの最後の歌声に気を付けなければなりません
 
 結論から申します 本番の最終音でタニアは十分過ぎるほどのFill inを行い タニア・タッカーの主張を強調しステージを引き上げました  音合わせの時のバック音とは全く違うのですが タニアは気にもかけない様子なのです 自分の歌う旋律に全てを賭けての熱演でした あの度胸の良さと歌唱力は若い歌手としては珍しく さすが音楽祭にエントリーする権利を獲得しての出場だと 納得させられました
 
大賞には『ミスター・メロディ』 ナタリー・コール
金賞は 『ブリング・ユアスイートスタッフ・ホーム・ミー』ポインター・シスターズ
銀賞  『思い出のメゾン』  ヴェロニク・サンソン
銀賞  『かもめはどこに飛ぶ』 ララ・サンポール
銅賞  『二日酔い』 梓 みちよ
銅賞  『ときめきの頃』 タニア・タッカー
銅賞  『ハッピー・ジャンプ』 ダニエル・ブーン
国内大会ゴールデンカナリー賞の 西城秀樹 フォー・リーブスは今一つ票が伸びず
と言うところでした
 今回はゲストの名は使われず ショウ・タイムとして サムシング・スペシャルの
派手なシヨー・タイムを楽しみました
 
 さてグランプリのナタリーコールは抜群のパワーのある歌唱力で 聞いている人々を
納得させる素晴らしい情熱を感じさせてくれました
 受賞インタービューで『亡き父 ナット・キング・コールに一番知らせたかった』と涙ながらに語り すぐ脇後ろにいる私にも大きな感動を与えてくれました
 受賞 感動のコメントはこの年の最高の瞬間です 何度聞いても新鮮な感動を与えてくれます そしてグランプリ曲の歌唱 人生で一番光り輝いている とき を共有出来るのは本当に嬉しいものです 

 今回も私が指揮を担当し 5年連続人生最高の歓びを 裏から支える歓びとして体験しました      
 人生最も光り輝やいている人々に共通して言えるのは 歌唱力が二倍にも 三倍にも大きくなり人の心に 響いて来るのです 天から歌の天使達がいっせいに舞い降りて一緒に大合唱して居る様な雰囲気をかもし出すのは 本当に不思議でした
 
 第5回もナタリー・コール(米)ポインター・シスターズ(米)ヴェロニク・サンソン(仏)
ララ・サンポール(伊)タニア・タッカー(米)ダニエル・ブーン(英)そして日本勢と
名前を聞いただけで たまらなく聞きたくなる大物が名を連ねている事 そしてこの大物達がエントリーしてくるまでに成長した音楽祭になったと言う事でしょう
 
 私は現場の空気からも まだ上り坂にあるなと 思って居たものです
 
 我がオケ軍団は実に良く活躍してくれました 現場では第1の活躍です 音合わせから 本番一日中の演奏です 何ひとつとしてミスの無い完璧な演奏で 歌手の皆さんを裏から支えました 最後の音を完璧に演奏し終えた私達は 今回もプロとしての喜びを実感したものです
 
 プロデューサーY氏が何故タニア・タッカーの譜面を書いてほしいと言ったのかは10年ほど後に分りました Y氏はウエスタン・ソングとギターの名手だったのです 自分の好きな世界の音が寂しいのを 氏はたまらなかったのでしょう
 これを私情と言えば 厳しい Y氏の私情はこれが最初で最後でした
 

◆2006.7.13 音楽と心
 世田谷に成城山 耕雲寺と言う曹洞禅宗 大本山 永平寺直系の名刹があります 先代の御老師様と 現在の方丈様(ご住職様)と二代に渡ってご指導を頂いているお寺です そのお寺の方丈様より お盆の大法要の日に 大法要の前に「新作の音楽はいかにして創られるのか」について話をしてほしい旨のご依頼を頂きましたのは五月末でした
 
 
 当日耕雲寺様の御本堂には百数十名の方々が一堂に会し 一体作曲とはどのようにして出来るのか どんな話なのかと お暑い中のお越しでした
 タイトルは 『音楽と心』  です
以下は私が皆様に申し上げた心からの懺悔を重ねつつ書き上げた作品の要約です
 
 昨年11月18日に私は仏教伝道協会(超宗派で世界に仏教を広める活動をして居る協会)のプロによる新作コンクールに応募し 221篇から幸いにも第1位を頂きました
 始めは今更コンクールを受けて落ちたらみっとも無い 恥ずかしい思いは止めようと資料を放置していたのですが 主旨の 『仏教音楽の現代化とその普及』が頭から離れませんでした  締め切り前の7月に思い返して書いてみる気持ちになりました
 
 詩人に作詞を頼む時間も無く自分で詩・曲を書いたのですが なんと流れる様に詩・曲が溢れ出し3篇もの楽曲が出来ました 2日ほど経ち見直しますと 職業作家の手馴れた作品に思え 即 没にし 根本的な思考の第一歩に戻りました
 
 人間の根源的問題 生老病死 誰もが通り過ぎて行く人間界の定めです 私の心を 思考を 隅の隅までぎりぎりに追い込みながらの思索でした
 人間とは 生きるとは 言葉 精神 心 とは 詩が またまた溢れる出て来ました
その詩に対して 私の中の もう一人の私自身が『おまえはどうなんだ』と強く強く責めたてて来ます 私はわたしの全てをさらけ出して神仏に懺悔する思いで 出来た詩を削ぎ落とし 削ぎ落としてゆきますと 私なりに心を煮詰めたエッセンスのみが残ってくれました  詩を書くと一緒に曲が浮かんできます 五線紙にメモを取りました
 仏教用語を避けて ありのままの現世の言葉でと 心がけた結論です
 
 ここで檀信徒の皆様に 取り合えずCDを聴いて頂きました
 大きな拍手を頂いたのは 有りがたいことでした
 
  これまでは職業作曲家としての作品でしたが 今回は違います 人間の根源を 私  の低い心の程度ではありますが 何処まで正直に適切に書くことが出来るかです
 
(1) ふりそそぐ光のように
    父母の慈愛 それは 深い
    大きな 愛を 愛を受けて
    私達は 今 ここに生きる
 
 削ぎ落とし 削ぎ落とした結果 これだけが私のエッセンスです 
−ふりそそぐ光り− とは 既に神仏 天地から頂いているこの幸せな毎日のことです
 私達は父母の深い深い 慈愛によって育まれて来ました 今父母に本当の感謝の
心でいるだろうかと私は自問自答を重ねました 恥ずかしい限りですが心の底からの
感謝にはほど遠いところにある感謝である事に気付きました あの父の思い あの母の思い 想い出しますと父母に懺悔懺悔の思いのみでした
 あとは父母に許しを請い ただひたすらに許しを請い願う今です
 
 2節にある −人々の恩愛それは深いー 私達は数え切れない人々に恩愛を頂き育てて頂きました そのご恩に対して私は深い感謝とは言えない自分をまたまた見出したのです 今はお一人ひとりに改めて感謝しお詫びを請い願う日々を送っています
 父母は勿論 人々から頂いたご恩は大海原の様に広く 大宇宙の様に深い大きな愛を頂きました そして今も人々の恩愛を頂いて生きて居るのです 大きな愛を頂き 
私達は 今 ここに生かして頂いているのです こんなにも有難いことが有りましょうか

 生老病死 人間の根源的問題 だれも解答出来ないのは 死 です
 キリスト教では 死の間際に牧師さんが 「貴方の罪は許された 貴方は救われ
神の御許に行くのです」と 病人にも 戦場で瀕死の兵士にも ギャングにも平等に救いを与えると聴いて居ります 現世の人間にとっては大きな大きな救いではないでしょうか 日本の仏教では菩提寺 方丈様を通して大光明の世界に導かれると言う形体が仏教全般の継承である様に思われます
 
(4)ときは流れ 過ぎ行くとも
   光に満ちた 明日が ある
 
   La La La La La La
   光りに満ちた 明日がある
 
(4)には 二つの意味が御座います A Bに分けて記します
 
(A) 幼児期から青年 壮年
   
 時は流れ去りますが 既に与えられている光に満ちた明日が有るのです
La LaLa は仕事 趣味 家庭 衣食住 そして光に満ちた明日が有ります
大きな大きな 希望を持ち実現させようではありませんか
 
(B)壮年以後 
 
 時は流れ去りますが 振り帰れれば 懸命に生きて来た自分が有ります
La La La 過ぎた日に感謝し 懐かしい想い出を楽しみ 全てに感謝を重ねる日々 心静かに感謝で過ごす幸せ そして 死 を迎えたとき  光りに満ちた明日(次の光に満ちた世界)が待って居るのです
 
 人間界では心からの救いを 自分から創ろうでは有りませんか 常に前を向いて
大きな希望を持ち実現させようでは有りませんか
 
 私は このようにありたいと願い 願い 自分との葛藤の毎日なのです
なかなか理想通りにならないないのが 人間だと思いますが せめて今までの全てに懺悔し 全てに感謝する心だけは 持ち続けたいと願っています
  

 
 此処で質疑応答のお約束の時間になりましたが 檀信徒の皆様のCDを聞きたいと言う お声が多く 役員の方がCDをかけてくださいました
 皆さん二度目に聞く曲なのですが お渡し下さっていた歌詞をみて なんと大合唱に
なったのです そして大拍手です  私の方が驚きと歓びに包まれました
  
一時間10分のお約束の時間も過ぎ 方丈様の締めのお言葉で私は拍手に送られて退座いたしました
  
 退座した控え室で反省を始めた時 七人の御婦人が来室され 良い話と音楽だった
と 言葉で言いたくて来た との有りがたいお言葉と笑顔を頂きました その中に87歳の車椅子のご婦人が 勇気を出して 車椅子を降り 手を引かれて歩いて来たと誇らしげに仰り 私の両手をしっかりと握りました 私もしばらく両手を握りしめ 「お元気で」と心からお祈りいたしました
 
 またこの様子を見ながら待っていらした ご婦人が居ました ご子息様がTV関係の
仕事をしていらしたのですが 42歳で過労死された胸の内を語られました 同じTV界の私に胸の内を語る事で 少しなりともお気が休まればと お話を伺がわせて頂きました
 
 人間界には 喜怒哀楽 生老病死 盛者必滅 会者定離 限りが有りません
私は今 光の中で過ごせる歓びを感謝し 至らない心を正直に懺悔を重ねて 許しを請い 『ふりそそぐ光』をいただき ただただ感謝の心で過ごして行きたいと願って 願って居ります
 
 今回の機会をお与え頂いた耕雲寺様 方丈様に心からの感謝を捧げます
 
トピックス「昨年の仏教伝道協会コンクールの受賞」の模様

◆2006.6.22 第4回東京音楽祭世界大会 現場より
 第4回東京音楽祭世界大会は前年の帝劇から武道館に移り より一層の充実を求めて開かれました まず日本側からはシルバー・カナリー賞のアグネス・チャン ゴールデン・カナリー賞の五木ひろし しばたはつみ 布施 明の各氏  海外からはライオネル・リッチーがコモドアーズのボーカルとして参加 前年「タワーリング・インフェルノ 愛のテーマ」を大ヒットさせて波に乗るモウリーン・マクガバンと 日本側には油断のできない海外勢ばかりが肩を並べました 
 またゲストには何と昨年グランプリ受賞のザ・スリー・ディグリーズが立派な姿で帰ってきました 日本に胸を借り その後世界を制覇したお礼でしょうか 
 昨年音合わせのTBSGスタの片隅で ひっそりと立たずんでいたあの三人は この音楽祭から火がつき世界中で大ヒット あれよあれよと言う間に大スターの座に昇りつめました  たった一年のコンサート活動でしたが 今は堂々とし自信に満ちた姿を見るのは 嬉しいものです
 
 東京プリンスホテルでの 個人面接も回を追うごとに順調に進み 円満外交でした
やはり東京の様子を聞いて来ているらしく 日本側の誠意を信じている様でした
 
 面接の様子をご説明しますとホテルの○○の間(7,80人は楽に入れる)をコの字にテーブル設定し 中央にTBS関係者と私 テーブル越しに遠来の客と対話できる様に来客用椅子が5,6脚がすんなりと座れる様になっています
 エントリー歌手は 最小の場合マネージャーと2人 多い人で5,6名です
 ここでの主役は通訳さんです TBSは同時通訳クラスの女性3名を付けてくれていました  遠来の客は主張する事が多いのです 一人の通訳さんが私の言葉を通訳している間にも他のお二人はメモを取り チェツク事項をもらさず記しています
 この第4回ごろには通訳さんとも友達になり 私の意図や 気持を飲み込んで通訳してくれたのは有り難いことでした テレビには映らない処でこの女性の方々の活躍が
毎回の音楽祭を支えていたのです
 
 今回はフランスから二組のエントリーがあり 通訳も仏語メインの方が来てくれています 二組目で問題が起きました 彼女達の持って来たオーケストラスコアの中程にコピーミスがあり ヴィオラ チェロ バスが3ページ15,6小節に渡り写って居ないのです 私の指摘を受けて フランス美女達はパニックになりました 前回のソ連の時と同じ
です 中年のマネージァー女史は自分の立場を守る為に何故この様になったのか分らない と言い訳し 歌手の美女は何故よくチェツクして来なかったのかと お互い感情的になり 言い合いがエンドレスとなりました 10数分言い合って一息入った処で私は至極冷静に提案しました  
 
 私は彼女達が言い合っている間にスコアに目を通し既に結論を用意してました
フランスからスコアを送ってもらう時間は無いのだから 抜けている部分をこちらで書き込み完成させるのが最善の方法だと言いました 二人はホットした様に一瞬静かになりましたが 程なくして言い合いが再燃しました 
 私はすぐ察知しました どうやら彼女たちはお金の問題を言っているようです 私はすぐ通訳に「これは特例であるから私が無料で書いて写譜にまわすから心配しない様に」 と言いますと二人はきょとんとした顔をして静かになり 笑顔を見せました  あの言い合いは何処に行ったのでしょう  私はこの件を特例としてプロデューサーに認める様に申告し一件落着をさせました  音合わせ当日 二人の笑顔の美しかったのは言うまでもありません
 
 音合わせも順調に進み モーリン・マクガバンの番になりました 当然同行の音楽監督が指揮するものと思っていたのですが 突然彼が私に指揮を頼みたいと言うのですモーリンのお願いでも有るとの事なので私は 慌ててスコアを読み始めました 
 
 人間は怠惰なもので 自分が担当しない曲は気軽にサッーとスコアを見ただけでしたので いささか慌てました
 1回目の音合わせで監督氏の書いた意図を理解し 監督氏に「発想記号がないが解釈して表情を付けて良いか」と聞きますと 任せるから宜しくとの事なのでオケの方々に7,8箇所の書き込みと 強弱を書き込んでもらいました
 
 さあ第2回の音出しです 私が表情を付けただけで 前回とは違い生き生きとして
ストリングスも大きく語り歌を盛り立ててくれました
モーリンは胸の処で両手を合わせ私のところに来て 「美しい 歌いやすい 美しい」の連発です 私は「良い編曲でよかったですね」と スコアの良さを何回も強調しました

 第3回目の音合わせ これで後は当日です 幸運な事にモーリンと私の解釈が合致し より良い楽曲として完成したのは歓びでした モーリンと監督氏に大いに歓ばれ 私が指揮する事の意義も立ち 握手 握手攻めを受けました
 
 モーリンの音合わせ終了後 モーリンは帰ったのに 監督氏は私の隣席に座り何かと話かけて来ます 通訳さんが素早く見つけ私の後ろに付きました ごく通常の会話が続いたところで 午後の30分休憩が入りました 監督氏は未だ帰る様子はありません午後のお茶にしましょうかと通訳さんと3人でパーラーに向かいました
 私は公正な立場を守る為に賞の発表後までは誰とでも公平でなければ成りません
監督氏が私に好意を持ってくれるのは有り難かったのですが 反面困りました
 氏の家族の話 特に息子さんにピアノを仕込んでいるが 思うように行かない など等の話を聞き スタジオに戻る入り口で氏に 「では当日に」 と笑顔で別れてもらいました
 
 楽屋裏の話が多い回になりました 結論に参りましょう
 
 グランプリはモーリン・マクガバン『わたしの勲章』 広がる伸びの有る声での語りは
なるほどと 納得させられました   金賞は布施 明氏『シクラメンのかほり』 氏4回めの登場 三番歌詞を英語で歌い熱演 熱演    銀賞はニコール・クロワジール『あなたとともに』 シスター・スレッジ『あなたは恋の特効薬』   銅賞 アラン・シャンフォー『そよ風のセレナーデ』 コモドアーズ『スリッパリー』 しばたはつみ『濡れた情熱』
の各氏が受賞  ザ・スリー・ディグリーズの華やかなゲスト・ステージを楽しみました
 
 モーリン・マクガバンですが未だ26歳 2年半の実績ですが 幸運の持ち主らしくアカデミー主題歌賞も持ち これからを期待したい歌手と私は思いました
 金賞 布施 明氏は本当に熱唱で 氏の歌が熱気となり大きなうねりの波となり 武道館を包み込みました しばたはつみさんは永年の苦労と努力の賜物でしょう ライオネル・リッチー参加のコモドアーズは いま一つ票が集まらず銅賞でした
 
 私の記憶で恐宿ですが 布施さんは音合わせ 武道館でのカメリハでは三番も日本詩で歌っていたのですが 本番でのみ英詩で歌い 私は指揮をし乍ら「え・・」と氏に目を向けていた事を思い出したのです ほんの瞬間のことですが この様に集中して書いていますとキューンとあの瞬間を思い出したのです いずれ氏に会ったとき直接聞いてみたいと思いますが まず間違いないと思います それと氏は真面目に大賞を取りに行ったのだと思います その意味は現場でのみ 同じステージに立つ人間のみに通じる独特の強力な心の念 祈り 筆舌では尽くせない歌の嵐を感じたのです
 あの大ステージで心からの叫びを上げ 武道館をゆり動かした氏の歌唱力は 正に
グランプリに匹敵するものと私は大きく評価しています
 
 当時の音楽評に「布施は三番を英詩でサービスし・・」と書かている様ですが布施氏はサービスでは無く 本当に理解して欲しいという氏の心の叫びの英詩だったのではと私は思っています
 
 音楽祭の翌々日 高輪プリンスホテルでの他の音楽番組ナマ放送カメリハ中の私をあの監督氏が尋ねて来ました 私のスケジュール居場所を調べわざわざ尋ねて来てくれたのです
モーリンからの感謝の言葉と 監督自身の喜びをもう一度伝えたくて来たとの事
 もう賞レースは終っています  「今夜ゆっくり食事に招待したい」と言いますと 今夜の便でアメリカに帰る様になって居るとの事でした 仕事の合間のささやかな休憩時間をコーヒーショツプで日米の作曲家二人は友情を温めました
 
 この回で学んだことは監督氏の人を信頼する姿勢です 自己主張の激しい世界で
全てを任すのは大変な決断です 私は心からの敬意を監督氏に捧げました
 
 ちなみにフランスの もめた美人歌手は入賞し マネージャー女史と歓び合って
居ましたが 私を見ない様にして居る二人の心が 私にはよーく見えた次第です
 
 
 第4回世界大会も無事に大盛会に終わりました やはり美術 音響 カメラ その他各セクション(勿論我がオケ軍団も)の情熱と完成度はかなり高く 次回はさらに一段上を目指すべく結束が固まっていった感がありました
 
追記
 第3回世界大会のエントリーの中に 私の僅かな記憶の中に有ったロシアからの
エントリー者 ムスリム・マガマエフ氏が居ましたが 同行の音楽監督との見解の相違から出場しませんでした 私の友人が追跡調査をして下さり「ソ連で多くのヒット曲を出していると言われるムスリム・マガマエフ」の朝日新聞1974年5月17日の前うち記事で第3回である事 間違いなく本人である事を立証して下さいました
また旧友からは写真も提供され確認出来ました 友人 旧友に心からの感謝を捧げ
つつ皆様にご報告いたします