第4回東京音楽祭世界大会は前年の帝劇から武道館に移り より一層の充実を求めて開かれました まず日本側からはシルバー・カナリー賞のアグネス・チャン ゴールデン・カナリー賞の五木ひろし しばたはつみ 布施 明の各氏 海外からはライオネル・リッチーがコモドアーズのボーカルとして参加 前年「タワーリング・インフェルノ 愛のテーマ」を大ヒットさせて波に乗るモウリーン・マクガバンと 日本側には油断のできない海外勢ばかりが肩を並べました
またゲストには何と昨年グランプリ受賞のザ・スリー・ディグリーズが立派な姿で帰ってきました 日本に胸を借り その後世界を制覇したお礼でしょうか
昨年音合わせのTBSGスタの片隅で ひっそりと立たずんでいたあの三人は この音楽祭から火がつき世界中で大ヒット あれよあれよと言う間に大スターの座に昇りつめました たった一年のコンサート活動でしたが 今は堂々とし自信に満ちた姿を見るのは 嬉しいものです
東京プリンスホテルでの 個人面接も回を追うごとに順調に進み 円満外交でした
やはり東京の様子を聞いて来ているらしく 日本側の誠意を信じている様でした
面接の様子をご説明しますとホテルの○○の間(7,80人は楽に入れる)をコの字にテーブル設定し 中央にTBS関係者と私 テーブル越しに遠来の客と対話できる様に来客用椅子が5,6脚がすんなりと座れる様になっています
エントリー歌手は 最小の場合マネージャーと2人 多い人で5,6名です
ここでの主役は通訳さんです TBSは同時通訳クラスの女性3名を付けてくれていました 遠来の客は主張する事が多いのです 一人の通訳さんが私の言葉を通訳している間にも他のお二人はメモを取り チェツク事項をもらさず記しています
この第4回ごろには通訳さんとも友達になり 私の意図や 気持を飲み込んで通訳してくれたのは有り難いことでした テレビには映らない処でこの女性の方々の活躍が
毎回の音楽祭を支えていたのです
今回はフランスから二組のエントリーがあり 通訳も仏語メインの方が来てくれています 二組目で問題が起きました 彼女達の持って来たオーケストラスコアの中程にコピーミスがあり ヴィオラ チェロ バスが3ページ15,6小節に渡り写って居ないのです 私の指摘を受けて フランス美女達はパニックになりました 前回のソ連の時と同じ
です 中年のマネージァー女史は自分の立場を守る為に何故この様になったのか分らない と言い訳し 歌手の美女は何故よくチェツクして来なかったのかと お互い感情的になり 言い合いがエンドレスとなりました 10数分言い合って一息入った処で私は至極冷静に提案しました
私は彼女達が言い合っている間にスコアに目を通し既に結論を用意してました
フランスからスコアを送ってもらう時間は無いのだから 抜けている部分をこちらで書き込み完成させるのが最善の方法だと言いました 二人はホットした様に一瞬静かになりましたが 程なくして言い合いが再燃しました
私はすぐ察知しました どうやら彼女たちはお金の問題を言っているようです 私はすぐ通訳に「これは特例であるから私が無料で書いて写譜にまわすから心配しない様に」 と言いますと二人はきょとんとした顔をして静かになり 笑顔を見せました あの言い合いは何処に行ったのでしょう 私はこの件を特例としてプロデューサーに認める様に申告し一件落着をさせました 音合わせ当日 二人の笑顔の美しかったのは言うまでもありません
音合わせも順調に進み モーリン・マクガバンの番になりました 当然同行の音楽監督が指揮するものと思っていたのですが 突然彼が私に指揮を頼みたいと言うのですモーリンのお願いでも有るとの事なので私は 慌ててスコアを読み始めました
人間は怠惰なもので 自分が担当しない曲は気軽にサッーとスコアを見ただけでしたので いささか慌てました
1回目の音合わせで監督氏の書いた意図を理解し 監督氏に「発想記号がないが解釈して表情を付けて良いか」と聞きますと 任せるから宜しくとの事なのでオケの方々に7,8箇所の書き込みと 強弱を書き込んでもらいました
さあ第2回の音出しです 私が表情を付けただけで 前回とは違い生き生きとして
ストリングスも大きく語り歌を盛り立ててくれました
モーリンは胸の処で両手を合わせ私のところに来て 「美しい 歌いやすい 美しい」の連発です 私は「良い編曲でよかったですね」と スコアの良さを何回も強調しました
第3回目の音合わせ これで後は当日です 幸運な事にモーリンと私の解釈が合致し より良い楽曲として完成したのは歓びでした モーリンと監督氏に大いに歓ばれ 私が指揮する事の意義も立ち 握手 握手攻めを受けました
モーリンの音合わせ終了後 モーリンは帰ったのに 監督氏は私の隣席に座り何かと話かけて来ます 通訳さんが素早く見つけ私の後ろに付きました ごく通常の会話が続いたところで 午後の30分休憩が入りました 監督氏は未だ帰る様子はありません午後のお茶にしましょうかと通訳さんと3人でパーラーに向かいました
私は公正な立場を守る為に賞の発表後までは誰とでも公平でなければ成りません
監督氏が私に好意を持ってくれるのは有り難かったのですが 反面困りました
氏の家族の話 特に息子さんにピアノを仕込んでいるが 思うように行かない など等の話を聞き スタジオに戻る入り口で氏に 「では当日に」 と笑顔で別れてもらいました
楽屋裏の話が多い回になりました 結論に参りましょう
グランプリはモーリン・マクガバン『わたしの勲章』 広がる伸びの有る声での語りは
なるほどと 納得させられました 金賞は布施 明氏『シクラメンのかほり』 氏4回めの登場 三番歌詞を英語で歌い熱演 熱演 銀賞はニコール・クロワジール『あなたとともに』 シスター・スレッジ『あなたは恋の特効薬』 銅賞 アラン・シャンフォー『そよ風のセレナーデ』 コモドアーズ『スリッパリー』 しばたはつみ『濡れた情熱』
の各氏が受賞 ザ・スリー・ディグリーズの華やかなゲスト・ステージを楽しみました
モーリン・マクガバンですが未だ26歳 2年半の実績ですが 幸運の持ち主らしくアカデミー主題歌賞も持ち これからを期待したい歌手と私は思いました
金賞 布施 明氏は本当に熱唱で 氏の歌が熱気となり大きなうねりの波となり 武道館を包み込みました しばたはつみさんは永年の苦労と努力の賜物でしょう ライオネル・リッチー参加のコモドアーズは いま一つ票が集まらず銅賞でした
私の記憶で恐宿ですが 布施さんは音合わせ 武道館でのカメリハでは三番も日本詩で歌っていたのですが 本番でのみ英詩で歌い 私は指揮をし乍ら「え・・」と氏に目を向けていた事を思い出したのです ほんの瞬間のことですが この様に集中して書いていますとキューンとあの瞬間を思い出したのです いずれ氏に会ったとき直接聞いてみたいと思いますが まず間違いないと思います それと氏は真面目に大賞を取りに行ったのだと思います その意味は現場でのみ 同じステージに立つ人間のみに通じる独特の強力な心の念 祈り 筆舌では尽くせない歌の嵐を感じたのです
あの大ステージで心からの叫びを上げ 武道館をゆり動かした氏の歌唱力は 正に
グランプリに匹敵するものと私は大きく評価しています
当時の音楽評に「布施は三番を英詩でサービスし・・」と書かている様ですが布施氏はサービスでは無く 本当に理解して欲しいという氏の心の叫びの英詩だったのではと私は思っています
音楽祭の翌々日 高輪プリンスホテルでの他の音楽番組ナマ放送カメリハ中の私をあの監督氏が尋ねて来ました 私のスケジュール居場所を調べわざわざ尋ねて来てくれたのです
モーリンからの感謝の言葉と 監督自身の喜びをもう一度伝えたくて来たとの事
もう賞レースは終っています 「今夜ゆっくり食事に招待したい」と言いますと 今夜の便でアメリカに帰る様になって居るとの事でした 仕事の合間のささやかな休憩時間をコーヒーショツプで日米の作曲家二人は友情を温めました
この回で学んだことは監督氏の人を信頼する姿勢です 自己主張の激しい世界で
全てを任すのは大変な決断です 私は心からの敬意を監督氏に捧げました
ちなみにフランスの もめた美人歌手は入賞し マネージャー女史と歓び合って
居ましたが 私を見ない様にして居る二人の心が 私にはよーく見えた次第です
第4回世界大会も無事に大盛会に終わりました やはり美術 音響 カメラ その他各セクション(勿論我がオケ軍団も)の情熱と完成度はかなり高く 次回はさらに一段上を目指すべく結束が固まっていった感がありました
追記
第3回世界大会のエントリーの中に 私の僅かな記憶の中に有ったロシアからの
エントリー者 ムスリム・マガマエフ氏が居ましたが 同行の音楽監督との見解の相違から出場しませんでした 私の友人が追跡調査をして下さり「ソ連で多くのヒット曲を出していると言われるムスリム・マガマエフ」の朝日新聞1974年5月17日の前うち記事で第3回である事 間違いなく本人である事を立証して下さいました
また旧友からは写真も提供され確認出来ました 友人 旧友に心からの感謝を捧げ
つつ皆様にご報告いたします